創作小説「やられたらやり返すのが普通でしょ?」その3

「何、言ってるの」
 私は彼女の傍に近寄って、その小さく見える塊を見下ろした。
 彼女の目はどこか虚ろで、それなのに狂ったような輝きも見て取れる。怯えているようなのに笑い、楽しそうなのに苦しげで、私が知っている彼女とはあまりにもかけ離れていた。
「ねえ、ちょっと」
 私はそれでも彼女に声をかけようとしたけれど、私の声は聞こえていないようだ。
 それは、私が死んでいるから。幽霊だから、ということ?
「ちょっと!」
 さらに声を張り上げる。「あなたのせいで! 私は!」
「おーいおい、ねーちゃん」
 手のひらの中で響くアクセルの声が、私の焦燥をさらに激しくさせた。
「何よ、殺してくれるって言ったって、あなたは何ができるのよ!? スマホの中で、何が!」
 そうだ。
 私はこうしてここにいるのに、和香を殴ることもできないどころか、声すら届かない。
「あなたに、何かできるっていうなら、こいつを殺してよ!」
「ちっ、うっせえなあ」
 アクセルが不機嫌そうにそう吐き捨てるように言った直後、手のひらの中で光が弾けた。それは、今まで見た光の中では一番淡く、弱い。
 でも気づけば、目の前にアクセルが立っていた。
 スマホの中の存在としてではなく、そこにいる実在の肉体として。
「え?」
 わたしはぽかんと口を開いただろう。いつの間にか私の手の中にスマホの形はなく、目の前のアクセルがそのスマホに視線を落としながら何か悪態をついていた。

 

「超能力者……?」
 私がそう呟くのを、バカにしたような目つきで見やり、大げさに肩をすくめる。それはとても嫌味なものであったけれど、不快感を覚えている心の余裕などなかった。
「干渉できるっつったっしょ?」
 アクセルはニヤリと笑って、ゆっくりと足元を見下ろす。
 私が彼と同じように視線を向けると、僅かに彼の足元にノイズのようなものが走ったことに気づく。奇妙な黒いブーツ、それ以外の衣服は全て白。身体にフィットしたシャツもズボンも、汚れ一つない。でもそれはホログラムのようなものだった。彼の存在全てが。
 生身の人間じゃない。
 私は改めて彼を足の爪先から頭の上まで、まじまじと見つめ直す。
「あなたも幽霊なの?」
「説明、めんどいんだって」
 彼が持っていたスマホの画面を私に見せてきた。
 その中には、アクセルの姿があった。ただし、気を失って机の上に突っ伏している恰好で。
 そして、こうして私とアクセルが会話しているというのに、足元に蹲る和香はそれすらも気づかない。
「あなたも幽霊だけど、干渉できるってことは……和香と会話できる?」
「会話ぁ? こいつとか? そりゃできるけど」
 アクセルがその場にしゃがみこんで、目を細めながら和香の顔を観察している。「きったねえツラ。こりゃ、あんまり楽しめないかもなあ」
「何の話?」
「んー」
 アクセルはその場にしゃがみこんだままの姿で私を見上げる。普通、こういうのは不良というか、ヤンキーというか、まあ、あんまり関わりたくない人たちがよくやる恰好だと思う。でも、それが似合ってしまうというのは、美少年だからだろうか。
 そして、そんなことを考えている私というのも何だか変だった。
 朝までの私は、あれほどまでに空虚な人間であったというのに。
 何だか今は、何の悩みもないような……。
 死んでいるから、だろうか。
「結構ね、俺が持ってる力って危ないんだよね」
「危ない?」
「そ。俺はこうやって、色々なところに意識だけ飛ばすことができる。肉体は元の世界に置いたままでね」
 彼はまた、手にしたスマホを持って軽く振った。
「別の世界、だよね?」
「だね。文化も何もかも違うし、司法システムだって違う」
「何て国なの?」
「それ、必要な説明?」
 一瞬だけ、私は考え込む。そして、首を横に振った。
「……で、危険って?」
「うん? 意識と肉体が切断される可能性があるってこと」
「え?」
「戻れなくなるってこと。こっちの世界から、元の世界に」
「え、でも」
 私は眉を顰めて続ける。「身体は元の世界にあるんでしょう?」
「まーね」
 彼は低く唸りながら唇を尖らせた。「なんつーかさ、俺はさっきの部屋に閉じ込められてるんだよね。許されるのは、他の世界の覗き見。それと、探検」
「探検してどうするの。戻れなくなる可能性があるんでしょう?」
「うん。別の世界に意識を飛ばして、干渉する時に使う力の具合ではね、戻ることに失敗する。肉体だけあっちに残して、異世界空間の迷子ってやつになる。実体化にはリスクも伴うけどさ、やっぱ、楽しいんだよなあ」
 アクセルはそこで、床に転がっていたからのペットボトルに手を伸ばした。
 この部屋は、とても片付いているとはいえない状況だ。掃除なんてほとんどしていないんじゃないかと思えるほどに、飲み物の空き缶やペットボトル、コンビニのお弁当のゴミ、使い終わった割り箸、脱ぎ捨てられた靴下や洋服、洗濯籠に積まれたぐちゃぐちゃの洋服の山が雑然と存在している。
 手を伸ばせば何かのゴミがある、そんな中のひとつであるペットボトルに、アクセルは触れた。
 その瞬間、ペットボトルが転がった。

 

 和香が一瞬だけ遅れてそれに反応する。
 動いたペットボトルに視線だけ投げやって、身体を硬直させる。
 そして、少し離れた場所からドアが開く音が聞こえた。どうやら、和香の母親が玄関から出て行こうとしているらしい。鍵が外からかけられる音が続いて、その場に静寂が戻ると和香が恐る恐るといった様子で立ち上がろうと動き始めた。
「ねえ、あんた、ユーレイとかいうの信じる?」
 急にアクセルが和香に声をかけて、彼女の肩がびくりと震えた。慌てたように彼女が辺りを見回した瞬間、どうやら彼女の目に見知らぬ少年が映ったらしい。小さな悲鳴と、もがくようにばらばらと動く両足、両手。
「誰!? 誰よっ!?」
 和香の声は掠れていて、かろうじて聞こえるといったくらいの音量にしかならない。
「俺はどうでもいいんだ。あんた、すっごい恨まれてるよね? 身体がバラバラになって死んだやつにさ?」
 楽しげなアクセルの声は、この場には似つかわしくないものだった。
 和香はその言葉を理解するのに少しだけ時間を必要としたらしい。でも、すぐにその目に怒りの感情を浮かばせた。
「何を言ってるの? あんた、誰よ?」
「んー、説明めんどい。とにかく、急ぐぜ」
「何が、よ!」
「だからさ、あんたはバラバラになったやつに恨まれてる。そして、俺はあんたを殺すように頼まれたってわけ」
「はぁ!?」
 和香はその場に座り直し、痛みに身体中を震わせながら、さらに怒りにも震えていた。「あの女が何よ! 殺すように頼まれた? 幽霊? バッカじゃないの!?」
「……この女、うるせえなあ」
 アクセルが深いため息をこぼし、私を見る。和香も驚いたように私の方を見た。でも、その視線は宙を彷徨い、すぐにアクセルへと戻る。その口元には笑みの形があった。
「……何よ、まるでそこにあいつがいるみたいじゃない?」
「いるよ」
 アクセルは私を指さした。でも、和香はもう私の方を見ようとはしなかった。
「バカみたい。あいつは死んだ。惨めにね!」
「何で?」
 私は思わず呟いた。「何でそこまで嫌われる理由があったの?」
「何で嫌いなのかって訊いてる。あんたのそばで」
「幽霊が?」
 和香は肩を震わせながら笑い、アクセルを正面から睨みつけて続けた。「別に? 嫌いだから嫌い。それでいいでしょ?」
「だそーだ」
 と、アクセル。
「納得いかない」
 と、私が言うと。
「話せって言ってる」
「むかついたからよ」
 和香がよろけつつ立ち上がり、ゴミを蹴飛ばしながら隣の部屋である台所へと向かう。ダイニングテーブルと椅子はあるものの、そこで食事をできる状態なのかというのは疑わしい。でも、彼女は乱暴にテーブルの上にあったゴミを手で押しのけて、床の上に落とす。
「あいつ、昔から嫌いだった」
 彼女は椅子の上に腰を下ろし、テーブルに頬杖をついて表情を歪めた。それはきっと、頬にも目立つ痣があるから。きっと、そこが痛みを訴えたから。
 和香は露悪的な笑みを作る。
 いつも、私に向けていた悪意しか存在しない笑顔を。
「母子家庭とか言ってるのに、いつも平気な顔して笑ってるのも。他の連中と同じようなふりして、幸せそうにしてるのもね、むかついて仕方なかった」
「あんたんとこも母子家庭?」
 アクセルがゴミを蹴飛ばして笑った。「さっき、あんたを蹴ってたのは母親だろ? 掃除もまともにしてなさそうだし、あんたのこと、嫌ってそうだけど、それでも大切な母親ってやつか?」
「ただのクズよ」
 和香は吐き捨てるように言った後、ゆっくりと自分の頬を撫でた。「あいつも死ねばいいのに。そうすれば、この世界が少しは綺麗になる」
「へー、じゃあ、あんたは?」
「何が?」
「あんたも死ねば、この世界は綺麗になるんじゃねーの?」
「……かもね。でも、あたしは生きてる」
「生きる価値ってあるかい? この世界は生きてても楽しくないだろ?」
「バカなの? 死ねば負け、生き残った方が勝ち。生きるのが楽しくないのは当たり前だけど、嫌いなやつが死ねば少し幸せになれる」
「そんなもんかねえ?」
 アクセルは不思議そうに首を傾げ、そんな彼を見つめる和香の表情も少しずつ緊張がゆるんでいくのが解った。
「……あんた、本当に誰? それとも、何? 霊能者ってやつ?」
「何だそれ」
「違うの? それとも、ケイコが雇った便利屋か何か? あたしを殺そうって?」
「何だそりゃ」
「でもね、そう簡単に人を殺せるわけない。あたしだって……何度、あいつを殺そうと思ったかしれないけど、殺せなかった」
 そう言った和香の目は、一瞬だけ暗く濁る。
 そしてアクセルの瞳は、とても澄んでいた。
「母親を殺せなかったから、代わりに母親より弱いやつを殺した?」
「殺してないよ。勝手に死んだだけ。あたしは何もしてないのに」
 和香が嗤う。あまりにも見慣れた表情。以前と変わらぬ、その笑顔。

 

 彼女はこうやって、私を何度も殺すのだろうか。
 私の死は、彼女にとって楽しいだけのことだった。
 私の死で、彼女は厭な思いなんて何一つしていない。
 私の死で、彼女は苦しむこともなく、こうやって笑っている。
 それを見せつけられて、私はまた絶望している。

 

 私の死は。
 無駄な行為だった。
 和香を傷つけることなんて、何もできず。

 

「出てってよ」
 和香のその声で我に返り、私は顔を上げた。和香は、アクセルという存在を急に警戒したようだった。
「もう充分でしょ? ケイコに何を頼まれたんだか知らないけど、あいつは死んだんだから、もう終わり。だから、もう出てって。出て行かないなら――」
「だから、殺すんだって」
 アクセルは子供に言い聞かせるように、優しく言葉を発音した。「あんたの話を聞いたのは、そこで突っ立ってるヤツへの単なるサービス。後は、俺の時間」
「本気で言ってるわけじゃないでしょ? 簡単に人殺しなんてでき」
「できるんだな」
 アクセルはそこで和香のすぐ目の前に立って、その右手をゆっくりと上げた。
 その手の中にあったのは、スマホだったはずだった。でも、鈍い光を放ちながら、その形を変えていく。
 細長く、鋭く、鋭利な形。
 それは、ナイフのようなものへと変化して。

 

 和香が顔色を変えた。
「警察、呼ぶから!」
「何それ」
 アクセルは逃げようとする和香の髪の毛を掴み、そのまま自分の方へと引き寄せた。暴れる和香を簡単に押さえつけ、その耳元で嬉しそうに囁く。
「ボスとの約束。その世界に干渉する時は、誰かの許可を得た行動のみすること」
「離して」
「ありがとう。すっげえ久しぶりで、ぞくぞくする」
「ちょっと、ねえ!」

 

 そして。
 アクセルはそのナイフを和香の喉に押し当てて、ひどく優しく横に引いた。

 

 和香は言うなれば、クラスの中にいる女帝だった。
 周りに味方がたくさんいて、恐れるものなんて何もない。
 だから、警戒心というものはあまり感じられない人間だった。ずるがしこく、自分の立場を守るために嘘をつくことも多かったけれど、その嘘が白日の下にさらされるなんてこともない。
 仲間という群れの中で、小さな帝国を築いた女帝は、今、敗者となる。

 

「やめて、嘘」

 

 ――やめて。
 私は、一体何度、今までその言葉を口にした?
 絶対に報われない言葉。願い。

 

「嘘でしょ。痛い」
 和香が自分の喉を押さえ、そこから流れ出る血を傷口の中に押し戻そうとして、咳き込んだ。
 床に倒れ込んだ彼女は、さっきまで彼女の母親に暴力を受けていた時のように、ただ憐れな格好を見せている。

 

 悲鳴を聞きながら、私はぼんやりと考えた。
 こんなの、全然楽しくない。
 誰かを傷つけること。攻撃すること。
 不快感しか生まれない。
 あんなに、あんなに憎み、殺そうと思った相手が命乞いをしている様は、私の気分を楽にさせてはくれなかった。

 

 こんなの、全然楽しくない。

 

 私はそのまま、近くの壁に飛び込んだ。身体がすり抜けて、目の前に広がったのは小さなベランダと、曇り空。
 ベランダの柵は掴むことができない。もう、死んでいるから。肉体はここに存在しないから。
 私はただ、それほど高くない場所から地面へ向かって倒れこむ。
 ホームに滑り込んできた電車の前に倒れこんだ時のように。

 

 骨が砕ける音が聞こえた気がした。

 

「おーい、おいおい、ねーちゃんよー」
 アクセルの声も、微かに遠く。